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高松地方裁判所 平成9年(行ウ)5号 判決 1998年3月17日

原告

甲野太郎

右訴訟代理人弁護士

渡邊和也

吉野髙幸

被告

香川医科大学長

田中聡

右指定代理人

前田幸子

外八名

主文

一  本件訴えを却下する。

二  訴訟費用は原告の負担とする。

事実及び理由

第一  請求

被告が、平成九年二月一〇日、原告に対してなした停学処分(以下「本件処分」という。)を取り消す。

第二  事案の概要

本件は、国立香川医科大学(以下「香川医大」という。)の学生である原告が、学生間の暴力事件に関与したことを理由に六か月間の停学処分(本件処分)を受けたが、本件処分は被告の懲戒権の濫用による違法な処分であるとして、その取消しを求めた事案である。

一  争いのない事実

1  当事者

原告は、平成四年四月、香川医大に入学し、本件処分当時は、第五年次生として在学していた者である。

本件処分当時の被告香川医大学長は入野昭三である。

2  本件暴力事件の発生

(一) 平成八年一一月一四日、いずれも香川医大学生である原告、Aら数名が飲酒中、約一年前に開催された九州人会に関する不満について同会の幹事であった香川医大学生Bに問いただすことになり、Bに電話をしたが同人が謝罪しなかったため、原告らは、翌一五日午前一時三〇分ころ、Aが運転する車でBの下宿に赴いた。

(二) 原告らが車を停めて、原告とAが歩いているところへBが現われた。すると、Aは、突然Bを足蹴りし、逃げ出す同人を追いかけて暴行を加えた。これらを目撃した原告は両名を追った。Aの暴行が止んだところに通報を受けた警察官が駆けつけた。なお、原告自身はBに対して暴行を加えていない。(以下「本件暴力事件」という。原告の本件暴力事件への関与の有無・程度には争いがある。)

3  本件処分

(一) 香川医大側は、本件暴力事件の約一か月後、原告、A及びB等から事情を聴取し、その結果、被告は、本件暴力事件に関与した原告の行為は学生の本分にもとる行為であるとして、平成九年二月一〇日に開催された教授会の審査決定を経て、同日、原告に対し、香川医大学則(以下、「学則」という。)四八条一項及び二項に基づき、六か月の停学処分(本件処分)を行った。

(二) 原告及びその父は、同月一二日、本件処分の告知を受けた。

(三) 同年八月一二日の経過により、本件処分の停学期間が満了した。

二  争点

1  本件処分は司法審査の対象となるか。

(被告の主張)

(一) 「法律上の争訟」性の欠如

裁判所による審判の対象は、「法律上の争訟」(裁判所法三条)であり、その要件としては、①当事者間の具体的な権利義務ないし法律関係の存否に関する紛争であり、かつ、②それが法令の適用により終局的に解決することができることが必要とされる。

ところが、本件のように、学生に対し懲戒処分をするにあたっては、懲戒処分の対象となる行為の軽重のほか、本人の性格及び平素の行状、その行為が他の学生に与える影響、懲戒処分が本人及び他の学生に及ぼす訓戒的効果等という専門的、教育的な判断を必要とし、その判断の当否は、法令の解釈適用によって終局的に解決し得ないものである。

したがって、本件処分の当否は法律上の争訟には当たらず、司法審査の対象とならない。

(二) 大学内部の自律

(1) 学校教育法によれば、学校長は、教育上必要があると認めたときは、学生、生徒に対して懲戒を加えることができ(同法一一条)、学生に対して懲戒を加えるに当たっては教育上必要な配慮をしなければならない(同法施行規則一三条一項)とされている。これらの規定を受けて、香川医大においては、大学の規則に違反したり、その他学生としての本分にもとる行為をした学生については、学長が教授会の議を経て懲戒するものとされ(学則四八条一項)、懲戒として、退学、停学及び訓告の三種(同条二項)が定められている。

このような大学の学長の懲戒権は、教育を施行する大学側が、その理想とする教育を行うため、教育の場としての学内の秩序を自ら維持し又はその学生を教育する見地から行使すべき権利であり、懲戒権の発動は、教育施行のための自律的法規範を持つ団体の内部規律維持の問題である。

したがって、大学における学生の停学処分は、純然たる内部規律に委ねられるべき問題であり、司法審査の対象にならないと解すべきである。

(2) なお、原告は停学処分は一般市民法秩序と直接に関係を有する問題であるから、司法審査の対象となる旨主張するが、停学処分によっても大学内部から排除されるわけではなく、停学処分の有無が一般市民法上の資格、地位に関係するような規定等は存在しない。また、大学施設の利用等一般市民が享有しうる権利は、停学処分に付された者も一般市民としての立場ではなお享有しうる。したがって、停学処分は、大学の内部的自律権を制限することを理由づける「一般市民法秩序と直接の関係を有するもの」には該当しない。

(原告の主張)

(一) ある処分が司法審査の対象となるか否かの判断は、被処分者が侵害された権利の性質等を主たる判断要素として行われるべきところ、教育権を保障する憲法二六条を根幹としその他の教育関連法規からなる現代公教育法が、学生等の学習権を積極的に保証している趣旨に鑑みれば、在学関係内部の法的問題であっても、学校当局の教育権行使が学生等の学習権その他の権利を一方的に制限した場合には、当該処分は司法審査の対象になるものと解すべきである。

したがって、本件において、原告は、本件処分により、授業への出席等を阻止され学習権その他の権利を学校により一方的に制限されており、当然に司法審査の対象になる。

(二) また、大学のように一般社会とは異なる特殊な部分社会を形成している場合でも、一般市民法秩序と直接の関係を有する限り、内部的な問題についても司法審査の対象となり、国公立大学は公の教育研究施設として、一般市民の利用に供されたものであり、学生は一般市民として国公立大学を利用する権利を有する以上、学生に対してその利用を拒否した場合には、学生が一般市民として有する右公共施設を利用する権利を侵害するものとして司法審査の対象となるとされる。

したがって、本件では、原告は、本件処分により六か月間の長期間にわたって自らが学生であるところの香川医大という公の教育研究施設を利用できない以上、本件処分が司法審査の対象になることは明らかである。

2  停学期間経過後において本件処分取消の訴えの利益があるか。

(被告の主張)

停学期間が満了すれば、原告が停学処分によって受ける不利益は消滅し、停学処分を受けたことにより、将来、不利益を被ることは学則上も規定されていない。

したがって、本件の訴えの利益は、右停学期間の満了により消滅した。

(原告の主張)

(一) 公立高等学校在学中に退学処分を受けたが、そのまま大学に入学し、もはや高等学校に復帰する意思を有しない場合でも、退学処分の効力が持続する限り、被処分者が将来就職したり他大学に転学しようとするときに、履歴書等に高等学校で退学処分を受けた旨記載しなければならないことにより不利益を被るおそれがあるところ、社会的事実として、人の履歴の正常性ないし正当性が有用な一個の社会的価値として評価されなければならないこと、他方、学外排除措置である退学処分が被処分者の履歴に消極的な評価を導く原因となり得ることからすれば、履歴の正常性ないし正当性は退学処分の取消により回復されるべき法律上の利益に当たるとして訴えの利益が肯定されている(東京高裁昭和五二年三月八日判決・判時八五六号二六頁)。

本件のような停学処分の場合においても、処分の効力が存続する限りにおいて、現在のわが国の社会の中で、履歴上の正常性ないし正当性に対し著しく不当な評価が下されうることは、退学処分の場合と何ら異ならない。すなわち、本件処分は懲戒処分であり、原告の意思に反して六か月間大学の諸設備を利用する機会を奪って在学関係を停止させ、ひいては留年をもたらしたものであり、原告が大学を卒業して就職するときに提出を求められる履歴書には、六か月間の停学処分及び一年留年の事実を記載しなければならないところ、これが原告の履歴に消極的評価をもたらす原因になることは否定できず、就職上の不利益を被るおそれがあることは明らかである。

したがって、本件においても、原告の履歴の正常性ないし正当性が停学処分の取消により回復されるべき法律上の利益にあたり、これを保持する必要がある限り、訴えの利益はある。

(二) 行政事件訴訟法九条かっこ書きにいう法律上の利益の解釈として、原処分ないしその根拠規定の趣旨を考慮して、残存する不利益が本来の趣旨、目的の範囲内のものであれば法律上の利益があり、逆に付随的なものであれば事実上の利益にすぎないとする考え方がある。これによれば、処分の本来的目的が制裁・懲罰的機能にある場合は、被処分者がその名誉、信用等につき被る不利益は法律上のものといえるが、処分の本来的目的が行政上の指導監督機能にある場合には、これによる不利益は事実上のものにすぎないということになる。

これを本件についてみると、本件処分の本来的目的が、制裁・懲罰的機能にあることは明らかであり、かつ、本件処分による停学期間が満了しても、原告の名誉等についての利益が回復すべき法律上の利益として残存する以上、本件では、訴えの利益は消滅しないというべきである。

したがって、本件処分による停学期間が満了しても、本件訴えの利益は消滅しない。

3  本件処分は適法か。

第三  争点に対する判断

一  まず、本案前の争点のうち、争点2(停学期間経過後における本件処分の取消の訴えの利益があるか)について判断する。

1 行政事件訴訟法九条かっこ書きは、期間の経過等の理由により処分の効果がなくなった後においてもなお当該処分の取消により回復すべき法律上の利益がある場合には、当該処分の取消を求めることができる旨定めている。右にいう処分の取消により回復すべき法律上の利益の存否については、取消訴訟の目的が、違法な処分により個人の権利ないし法律上保護されている利益が侵害されている場合に当該処分を取り消すことにより右権利利益に対する侵害状態を解消させ、その法益を回復させることにあることからすると、当該処分が法令の規定上将来の処分の加重原因となるなど、処分がなされたことを理由に法律上の不利益を受けるおそれがある場合には、当該処分の取消を求める法律上の利益があるというべきであるが、処分がなされたことにより事実上の不利益を受けるにすぎない場合には、当該処分の取消を求める法律上の利益があるとはいえないと解するのが相当である。

2 これを本件についてみるに、本件処分の効果は六か月間の停学期間の経過により既に消滅していることは明らかであり、また、学校教育法、同法施行細則及び学則等の関係法規に本件処分を加重要件とする規定があると認めるに足りる証拠はない。

したがって、本件処分の取消を求める法律上の利益は認められない。

3  これに対し、原告は、本件処分及びこれを原因とする留年の事実により、将来就職の際に不利益を受けるおそれがあるので、本件処分の取消により履歴の正常性ないし正当性を回復する法律上の利益がある旨主張する。

しかし、原告が主張する右不利益は、単なる事実上のものにすぎず、履歴の正常性ないし正当性を回復することが、処分の取消により回復すべき法律上の利益にあたるとはいえないから、原告の右主張を採用することはできない。

4  また、原告は、処分後に残存する不利益が当該処分の本来的目的の範囲内のものであれば処分の取消を求める法律上の利益があり、本件処分のように、処分の本来的目的が制裁・懲罰的機能にある場合は、処分による名誉・信用等の侵害につき、その回復を求める法律上の利益がある旨主張する。

しかし、原告が主張する右不利益が、本件処分の法的効果ではなく、事実上生じる可能性があるにすぎないものであることは前述のとおりであり、このことは、処分の本来的目的が制裁・懲罰にある場合であっても異ならないというべきである。また、このように解しても、被処分者の名誉・信用等に対する不利益が具体化した場合には国家賠償法上の損害賠償請求により救済を求めることができるので、その救済に欠けるところはない。したがって、原告の右主張は採用の限りでない。

5  以上のとおり、本件訴えは、停学処分期間の経過により本件処分の取消により回復すべき法律上の利益を欠くに至ったものといわざるを得ない。

二  よって、原告の本件訴えは、その余の点につき判断するまでもなく不適法なものであるからこれを却下し、訴訟費用の負担につき行政事件訴訟法七条、民事訴訟法六一条を適用して、主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官馬渕勉 裁判官橋本都月 裁判官廣瀬千恵)

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